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普通じゃない何者かになりたかったのが普通だった。

こんにちは。maruです。

わたしは外から見ると俗に言われる陽キャのタイプです。が、実は自分にこれといった特技もないことがコンプレックスの、若干闇を持っているタイプでした。

最初は卒なくこなしているようでも、結果を残せるほどではなくて、プラス飽き性。

何でも中途半端でいつだって1番になれない自分が本当に嫌いでした。

でも最近ふと、

いや、2番でもいいじゃん。

って思えるようになったんですよね。

不得意な人からすれば得意に見えて、得意な人にはどんどん抜かされる。

周りに流されやすい私でも、今は悪くないじゃん、と思っています。

じゃあなぜ今の自分でもいいじゃんと思えるようになったのか?

普通な自分を受け入れる

会社でよく言われる「個性を生かせ」「自分を持て」「強みをみせろ」。

いや、もう見せてんねん。

この器用貧乏で無個性なようで頑固なところが私の個性なわけで。

好奇心旺盛で大学生の時に一人旅しまくって、

勉強よりも飲食店でバイトするのが好きで、

人と一緒にいることも好きだけど一人の時間が多くないと死にそうになる。

わたしと同じ生き方をして、経験をして同じ考え方をして、そんな人は1人もいないからこれがもう個性なんだなあと思えるようになりました。

何か大きいことが出来なくても、目に見える結果がなくても、

それがあなたの個性。

「普通」って存在しないんですよね。

自分が普通だと思っても、それは自分にとっての普通で周りにとっての普通ではないし、逆に周りの人が普通だと思っても、それは周りにとっての普通であって自分にとっての普通ではない。

って考えたら、あれ、わたし普通じゃないじゃん。って。

そもそも、無個性が悪みたいな風習が良くない。

「お前って普通だよね~」みたいなこと言ってくるとんでもない悪の個性の奴がいたら、心の中でげんこつかまして言ってやりましょう。

「お前みたいな悪の個性的な奴ばっかりいたら世の中ぶっ壊れるぞ」と。

国とか時代が変わるだけで常識がコロっと変わるように、普通なんてふわふわした概念も、ちょっとした拍子で変わってしまうんだから。

普通を武器にして自分を好きになる。

これといった個性がないというのを逆手にとらえると、

ここから何にでもなれる、ということ。

流されやすいというのは、どうとでも染まれる、ということです。

これってすでに個性がある人より可能性があって絶対に楽しい。

要するにヒロアカの主人公デクと同じってこと。(知らない人は絶対読んでほしい。自己肯定感爆上がりの漫画。)

そして、

普通であることは多くの人と共感ができるということ。

憧れの存在は憧れで終わることが多いけど、共感ができると仲間になれます。

これってとんでもない武器だと思います。

1人でできることは限られているけど、仲間がいるとなんでもできるような自信がつきます。自信は1人で作らなくてもいいんです。

あと仲間ができるとなんといっても本当に楽しい。

仲間に出来ないことをちゃんと頼ると、相手が苦手で自分が得意なことで頼ってくれます。

そんな普通の自分を受け入れてくれた上で頼ってくれる存在がいると、ちゃんと力をつけたくなります。

そしたら間違いなく毎日が楽しくて、自分を好きになれるはず。

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