『そして、バトンは渡された』が去年映画化されたことで、あまり読書に馴染みのない方にも知られるようになった瀬尾まいこさん。
この本はそんな瀬尾さんの初エッセイ本です。
この本をわたしの言葉でまとめると、
世の中には嫌な人もいるし、その中でも必ず好きだったなと思える人もいる。
出会いが最悪な人もいるけど、繋がっていくうちに意外と良い関係になれたりする。
昨日よりも少しだけ、誰かに優しくしたくなる。
そんな一冊です。
世の中は厳しい
世の中は厳しい。それはもう当たり前のように。
足並み揃えられない人のことは、平気でさっさと置いていくし、見ていないフリなんかもする。
初めてする仕事なんかだと、意味不明な業務に加えて、人間関係まで意味不明で、自分だけがこの空気に馴染めていない苦しさを味わうのは、社会人なら誰しも通った道なのではないだろうか。
あの空気感は、二度と味わいたくないなぁと思いつつも丁寧に思い返してみると、優しい人がどこかにいる。
言葉はかけてこなくとも、こっそり仕事を手伝ってくれていた人や、仕事の愚痴を語り合った仲間。
一見苦しい思い出でコーティングされていても、じっくり見ると意外と優しさもあるのだ。
世の中は厳しい。仕事は辛い。
でも、ああ、世の中には親切な人もいるのだ。としみじみした。
そんなしみじみが、今日のわたしを働かせる。
わたしもそのしみじみとする存在みたいなものになれたらいいなぁ、なんて思う。
触れてみないと分からない
たまに知ったかぶりをしてしまうのだけど、よくよく考えてみるとこの世の中のほとんどは知ったかぶりでできている。
なぜならだいたいの物事は、自分で直に触れないと、なにも知れない。
管理栄養士として働く私も、大学で4年間学び続けていたにも関わらず、実際に社会に出て働いてみると学校で習ったことはこれっぽっちも役に立たなかった。(役立てる知恵がなかったのかもしれない)
やる前に考えても仕方ない。知識や情報はあまり当てにならない。
自分で触れてみないと、何も知れないということを、Aさんは私に教えてくれた。
なにかを始める前の計画性なんて、どうでもいいような気がする。
やったことのないことに対して計画を立てたところでどうせ大抵は上手くいかないのだし。
きっと何かは変わっていく。
「こいつは一生嫌いだ」みたいな人がたまにいる。
そんな人に対して「好きかも」なんてことを思うことは一生ない。
それでもそれが職場の人だったりすると、なんやかんやと付き合っていかなければいけないのが現実。
先日読んだ本に、
『仲良しではなく、気も合わないけれど、つきあいは続けていく。
そんな関係を受け入れるのも、大人の知恵だと思います。』
と書いてあった。
ふむふむ、たしかにこれが大人の付き合い方だな、と。諦めも肝心だな、と。
でもそれができない子どものわたしは、「こいつ一生嫌いだ」と思いながら、関わり続けたら「こいつは一生普通」ぐらいにはなるんじゃないか、という希望がなかなか捨てられない。
だからこそ、本書の瀬尾さんの言葉を信じて嫌いな奴でも挨拶ぐらいはしようと思う。
嫌いだけど、接した分、何かは変わっていくと信じて。
はじまりやきっかけはめちゃくちゃであっても、いくつかの時間を一緒に過ごすと、何らかの気持ちが芽生えるんだなぁって思う。
毎日文句を言っているうちに、一緒に登校しているうちに、気持ちが形を変えていったんだって思う。
いつもいい方向に動くとは限らないけど、接した分、やっぱり何かは変わっていく。
実は、今月末で私の働く飲食店が閉店する。
先日、頭ごなしに怒ってくる大嫌いな職場の上司に「いつかまた何かの仕事で関われたら」と言われた。
理不尽に怒られてばかりだったので、「この人はわたしのことが嫌いなんだな。」と思っていたけど、もしかするとそれでも一緒に仕事をするうちに形が少し変わったのかもしれない。
それでも上司のことは嫌いだけど、「大嫌い」から「割と嫌い」ぐらいにはなったな、と思う。
諦めも肝心。それでも、ちょっと諦めながらでも、わたしなりの人付き合いをしていきたい。
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