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猫泥棒と木曜日のキッチン/橋本紡

猫好きはついつい『猫』のワードに惹かれがちになってしまう。

かくいう私もその中の一人で、ついつい手に取ってしまいがちなのだけど、今回の本は違う。

以前働いていた職場が閉店になる時に、「どうせ捨ててしまうものだから、良かったらもらって」と言われてとりあえず持って帰ってきた本の中のひとつ。


出会いはそんな感じだったけど、この本を残して出て行ってくれた元店主には感謝している。

きっと彼女も猫が好きで、料理が好きで、なんだかポップな題名に惹かれてこの本と出会って、
猫という可愛くてふわふわした生き物の現実に絶望したり、もっと愛おしくなったりしたんだろうな。




あらすじ

お母さんが家出した、わたしたちを置いて。

お父さんはずっと前にいなくなった。けれどもわたしは大丈夫。弟のコウちゃんと二人で生きていく。

友だちの健一君だって応援してくれる。そんなある日、わたしは道ばたで「絶望」に出会ってしまった――。

失くした希望を取り戻すために、拒まれた願いを実現させるために、高校生・みずきの戦いと冒険が始まる。生きることへの励ましに満ちた物語。


これは本の裏表紙のあらすじがそのままなのだけど、物語を上手に要約できる人はすごいな、と思う。
ちゃんと客観的に見て、物事の本質を捉えていて、それでいて読者に興味まで与えてくれる。

私は28年生きても物事を主観でしか捉えられないから、あれもこれも伝えたくて謎な文章になってばかりなので本当に尊敬する。

尊敬はするけど、どうやったらうまくなるんだろ…。とまではいかないから、きっとそういうところなんだと思う。
私は、私が私の思うように理解したことを誰かに伝えるってよりはこういう場所でぽつぽつ独り言みたいに書く方が好きらしい。




生きてるってたいしたことだよ。


この物語を読むと、「生きる」ということと残酷に向き合うことになる。



「生きる」とか「死ぬ」とか、数文字しかないくせにとんでもない重さを持っているのだ。
「生きたくても生きられない人もいる」とか、そんな言葉を使ってしまうとすごく安っぽく聞こえてしまうけど、「生きる」「生きていく」というのは本当に重い。


そんな重さを抱えて、色々な人と関わりながら生きているのって本当にたいしたもんだと思う。


「死ぬのはよくない」とか責任取れない人が適当に発言するなとか言われてしまいそうだけど、それでもやっぱり生きてほしい。
あんたまじすごいよ、とか言ってあげたいと思う。し、自分にもたまに言ってあげたい。

大切な人も、大切じゃない人も、どうでもいい人も、出会ったことのない人でさえも。

生きられなかったあの子たちの分も、とかじゃなくてね。

よくそんなとこ見つけたな。いやいやキョトン。じゃなくて。




動物が出てきて、悲しい思いをする本に出会うと、ついつい愛猫のチャイをぎゅぅううっとしてしまう。(そして嫌がられる。悲しい。)

嫌がってもいいから、できるだけゆっくり歳をとってほしい。


そのいたずらしちゃおっかな、みたいな悪い顔とか、
おやつを催促してくるクリームパンみたいなおててとか、
撫でるたびに宙に舞うふわふわの毛とか、毎日かける掃除機の大変さまでも愛おしく感じる毎日が少しでも続くといいなぁ。



この先、いろんなことがあるだろう。
呑気なわたしでさえも叩き潰されそうになるだろう。そういうことがいくつもいくつも起きるだろう。

お母さんが感じたように、きれいじゃないものがずっと続いていくのかもしれない。
そうして結局、わたしたちは永遠になにも掴めないままなのかもしれない。

それでいい。わたしは生きていくだろう。
いつか運命のタイヤが私を押しつぶすそのときまで、できる限り呑気に生きていこうとするだろう。





強く、ゆっくり、生きていこうね。


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