こんにちは、まるです˙ᴥ˙
今回は伊吹有喜さんの著書、『四十九日のレシピ』を読んで学んだことをいくつかまとめていきます。
豊かな人生にしたい!と思って、「あれもこれも手に入れよう」としたことありませんか?
お金、人との繋がり、資格、誰だって何かしらそう思ったことがありますよね。
でもこの本を読むと、この事実に気づく人は多いはず。
自分の人生が豊かだったかどうかは、自分が与えられたものではなくて、誰かに与えたモノによって決まるのだ。
結局、「与えられたい」だけだと何も残らない。
この物語には恋人からの愛情欲しさ故に自傷したり、暴力を行う女性が出てきます。
でも、彼女には本当の愛情は残りません。
こーゆうの、現実世界でもめっっちゃあるなぁ…と。笑
モテたいと思っている人ほどモテないし、
人に好かれたいと思う人ほど嫌われていく。
こうしてほしい、与えられたい、だけ考えていても自分には何も残りません。
誰かに与えて、喜んでもらえたら、その副産物として何かが返ってくる。
それは目に見えるモノだったり、見えないモノだったりしますが、何かしら返ってきます。
人から好かれたければ、まずは好きになること。
愛情が欲しかったら、まずは与えること。
とってもよく聞く言葉すぎて「綺麗ごとかよ」と思われがちですが、結局世の中はそうできているみたいです(゜_゜)
人生の年表には載らない幸せもある
子どもを産まなかった女の人生は、産んだ人に比べて空白が多いのかもしれない
この言葉は、この物語の中で2回出てきていたのが印象的でした。
そして27歳独身女の心にグサグサと刺さる刺さる…笑
この物語を読んでいる最中に、何度満身創痍になったことか。笑
人生の終わりを迎える時、自分の子どもを産まなければ自分の年表には「妊娠」「出産」の二文字は存在しません。
「女に生まれたからには子どもを産むのが女の幸せ。」
…もちろんそういう幸せもあるとは思う。
ただ、幸せの正解は1つじゃ無いわけで。
血の繋がりのない家族だって、お互いをずっと好きならそれでいい。
なんなら幸せを作れる相手は家族だけじゃない。
同性だから、異性だからも、もはや関係ない。
形の決まっていない、色んな幸せがあるからこそ、人は皆それぞれが幸せになれる瞬間があるんだ。
「長谷川乙美、神戸に生まれる」と書かれた最初の紙の前に行き、その文字を見上げた。
どんな人もみな、『あしあと帳』の最初の言葉はこの言葉で始まる。
そしてその後は誰一人として同じものがない。
まったく別々の道を歩んでいる人たちが、ほんの一瞬、同じ時を共有して、別れていく。
模造紙に額を押しつけたら、涙があふれて止まらなかった。
何かを捨てて、新しいことを始めることだけが「新しい道」ではない
この物語の登場人物には、妻を亡くしたお父さんが登場します。
ぶっきらぼうで声が大きいせいで、いつも怒鳴っているように聞こえてしまうお父さん。(父あるあるかもしれない…)
そんなお父さんが旦那に浮気された娘にかける言葉が愛に溢れすぎていて、泣ける。
泣ける、というより泣いてしまう。
「また怒るかもしれんが、俺の意見は…やっぱりお前の好きなようにしろ、だ。
離婚して新しい人生を歩むのもいい。
だけど、二人で話し合ってやりなおすのなら、それもまた新しい人生だ。」
「遠慮をするな、百合子。お前はお父さんにまで遠慮をするな。
行け。気持ちが残っているなら、なりふり構わず追っかけろ。
振り返るな。振り返ったらいかん、人生は短いぞ。」
新しい人生を歩もうとすると、どうしても今とは違う道を選んでしまいがちです。
でもお父さんの言う通り、「今までとは違う道=新しい人生」だけではないなと。
やり方を変えるだけでも新しい人生だ。
そう考えたら、違う道を選べない人に行動力が無いと言われることがあるの心外だな(゜_゜)
人によって新しい人生を選ぶ方法が違うだけじゃんね!!
伊吹有喜さん・『四十九日のレシピ』
人の生き方ってのはたくさんあって、女性なら子どもを産んだ方が、とか、働くなら正社員の方が、とか、
そんなのはぶっちゃけどうでも良い(゜_゜)
ということを学びました。
冒頭で、「豊かな人生にしたい!と思って、『あれもこれも手に入れよう』としたことありませんか?」とお聞きしたのですが、それはあっても良いんです。
大切なのは、その手に入れたもので誰を幸せにするかです。
豊かな人生っていうのは、
誰にどんな幸せをどれだけ与えられるかによって決まる。
仕事だって子育てだって、全部そう。
自分がいつか死んだ後に残るのは、自分に与えられたモノではなくて周りに与えたモノです。
それがあなたの人生を計るのだ。
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